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Korean woman activist in 1919

ニューヨークタイムスから、日帝時代に活動した女性運動家の紹介

Overlooked No More: Yu Gwan-sun, a Korean Independence Activist Who Defied Japanese Rule

When a call for peaceful protests came in spring 1919, a schoolgirl became the face of a nation’s collective yearning for freedom.


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要約:1919年3月1日の3.1人民蜂起で16歳のユ・グァンスンが自由の象徴となった。グァンスンは梨花学堂の学生。3月1日、日本の植民地支配に反対し朝鮮の独立を求め、級友と一緒に行進に参加した。翌日、梨花学堂で学生運動の動員をうけたグァンスンらは5日に南大門で行われた行進にも参加。そこで日本の警察に拘束されるも、学校側の働きで釈放される。

植民地政府は3月10日、すべての学校閉鎖を命じた。数日後、故郷の忠清南道に戻ったグァンスンは密かに持ち帰った「独立宣言」を手に、村から村へ3・1運動を地域の住民に伝え抗議活動を組織した。

日本当局が蜂起を鎮圧するまで、2000万人の人口の内約200万人が1542の独立を求めた行進に参加した。7000人以上が殺害され、グァンスンを含むおよそ4万6000人が拘留された。グァンスンは西大門刑務所に送られた。

西大門ではグァンスンは他の囚人の開放を要求し、朝鮮の独立を求めた。「私の爪が裂け、鼻と耳がもがれ、腕と足が痛めつけられても、この肉体的な痛みは国を失う痛みとは比べ物にならない。残念なのはただ一つ、私の人生を国に捧げる以上のことができないことだ」

1920年9月28日、地下牢に移され拷問をうけたグァンスンは17歳で死亡。最後まで「日本は負ける」と言い続けた。

グァンスンは1902年12月16日にキリスト教宣教師の父のもと5人兄妹の次女として生まれた。キリスト教や伝統的な儒教の価値観からナショナリズムと市民意識を父から教わる。3世代にわたって9人の家族が独立運動にかかわっている。

2015年8月、鳩山元首相が西大門を訪れ「元首相として、日本国民そして人間として、今日、心の底から、ここで拷問され殺された人々に心からお詫びを申し上げます」と述べた。鳩山元首相はグァンスンが拘留されていた西大門の刑務所にも、日本の首相としてはじめて訪れた。

 

 

Ode to my farther/国際市場へようこそ

邦題は「国際市場へようこそ」、原題は「국제시장」

うちの父は1935年生まれだから、彼の人生とほぼかぶる。 私達は日本で暮らしてたけど、韓国で暮らしていたら、、と想像した。 うちの一家離散の理由は朝鮮戦争ではないけれど、北朝鮮、日本、韓国と(そしていまはアメリカ)と家族が離散したことを考えると、政治的状況に左右されない人生なんてない。

停戦から数十年たち、北と南の離散家族の再会を企画し、テレビを通じて家族が再会するシーンがあるけれど、ほんとに腹立つ。なんで離れ離れになった親子や兄弟姉妹がテレビ画面通してあわなあかんの? ほんの地続きのその先に生きてるっていうのに。 そんなまどろっこしいことしなくても、さっさと勝手に作った国境をあければいいだけの話やのに。