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退院後の体調

退院してきてから10日が経つ。当初は階段の上り下りもおぼつかない感じだったけど、ぐんぐん目に見えるくらいに良くなってきている。リハブにいたときはいつもぼんやりしてる感じだった。だけど一昨日はフィッシュフライを作ったら横から手を出して食べようとするので「No, this is our dinner, so you have to leave it」と言い、フライにボールでカバーしておいた。でもちょっと目を離したすきにカバーをとって盗み食い。食べてるところを見つけ「あー!!」っていうと、「You still love me?」ときた。こんな時はぎゅーって抱きしめたくなる。

昨日はJinが来てくれた。サムがあまりにはっきり会話するのでびっくりしてた。That’s the Sam who i know!! って言われ、とても嬉しそうに前歯のない大きなスマイルを見せてくれた。

体調の方はまだムラがある。大体は昼過ぎまで寝てる。以前は早朝に起こしておしっこさせないと!とこっちの睡眠み浅いものになってたけど、今はウォータープルーフのシーツを活用してるので、本人が気持ち悪くなって起きるまでそのままにしている。おかげでこちらもぐっすり眠れる。

大便の方はまだうまくコントロールできない。いつもちょびっとだけプルアップの中にしてしまう。トイレに座ってもらって容器に入れた温水を少しずつ流しながらお尻を洗う。病院でできた褥瘡もだいぶ良くなってきた。昨日はココナッツオイルを飲んでもらったら今日は軟便になってた。

夜は、食事の後はあまり長く起きていられない。今は大体7時に夕食をとり、8時半くらいにはとても疲れた様子なのでベッドで横になる?と聞くと大体Yesで、そのまま翌日の昼まで眠り続ける。

まだコロナから完全に復帰していないのかもしれない。

認知症の時間感覚

サムと同じD LBと診断され、患者の立場からDLBの症状について作家活動を続ける樋口直美さんの新著『レビー小体認知症とは何かー患者と医師が語りつくしてわかったこと』を読んだ。

著書の中で樋口さんが時間感覚について話していた。

「昨日、何してた?」と言われても答えられない。忘れたのではなくて、昨日という時間がいつのことなのかわからないんです。(中略)
 出来事をどんどん忘れるわけではないんです。ただ、人と話をしていて「それは、いつ?」と聞かれると、見当がつかないですね。(中略)
 (時間感覚は)一列ではないですね。ぐちゃぐちゃというか、濃霧の中にふわふわ浮かんでいるような感じもして、よく見えないし、距離感もないし、自分で掴めない感じです。
 でも時間以外のヒントがあれば、パッと思い出せるんですよ。例えば手帳を見れば予定が書いてありますね。地名とか人名とか。それを見れば、何をしたかはっきり思い出せるんです。

この箇所を読んで思い出したことがある。息子が小さかった頃、彼にとっては大人と同じような時間軸はなかった。過去に起こったことは「昨日」、これから起こることは「明日」と表現していたのだ。1ヶ月前に遊園地に行ったことは「昨日、遊園地に行ったやん?」だし、夏には海に行こうねというと「明日、海に行く!」みたいな感じ。未来のことは「何回寝る」で何日後のことか理解していた。昨日、今日、明日、1週間、1ヶ月などの時間感覚になったのは小学生になってすぐのことだった。

彼が小学校に通い始めて時間割と遭遇した。学校の時間割で1時間目は国語、2時間目は算数、みたいなスケジュールで毎日過ごしていると、1ヶ月も経たないうちに「昨日、明日」が一直線上に並ぶ概念として理解できるようになったのだ。

こういった、世界を歴史的時間感覚で理解するのとはまた違った理解がある。強いて言えば、レヴィ・ストロースの『野生の思考』のような。そうやって考えるとDLBの思考って、よく言われるように「認知症だから何も理解できない」のとはちょっと違うのかもしれない。

例えばサムはよく、かつて働いていたMTAのユニオンホールに出かけないといけないという。地下鉄に乗ってしまって探し出すのが大変だったこともあった。そんな時は自分がもうリタイアしたことよりも、いつも行っていた場所に行かないといけないという記憶が浮き上がってきているのだと思う。リタイアしたことを忘れたわけではないのだ。後で、リタイアしたのでもう出かける必要はないのよというと、Oh, OKとホッとしているみたいだし。

一般的な共通理解では解決できないけど、サムなりの理解には時間系列的な順序はないということを、私が理解することでサムとの関係というか彼の日常生活が混乱に落ち入らないようにできる方法があるのじゃないかという気がしてきた。サムが混乱せずに心穏やかに毎日を暮らせるように、私にもっとできることがある気がしてきた。そんな気持ちになれて、いい本に出会ったなぁと嬉しい。DLBの症状について自身で発信できる人は数少ないけれど、活動を続けてくれている樋口さんに感謝したい。そして、レヴィ・ストロースの構造主義は理解するのが難しいけど、また読んでみたい。

おかえりー!

去年の11月に路上で倒れて前歯を4本と口腔の裂傷で入院し、その後リハビリテーションの施設に送られたサム。12月27日に退院の予定だったのだけど、前日の26日からこんこんと眠り続け、退院の日にも目覚めることができなかったので、リハブから救急車でまた病院へ。検査の結果、リハビリ施設でコロナに感染したことがわかり、治療を受けてようやく年明けの2日、家に戻ってきた。お帰り〜。

最初の入院は4日ほどだったんだけど、病院からの請求書を見ると8万ドル以上の請求!ほとんどはメディケアでカバーされて、二次保険も残りをカバーしてくれる(はず?)なので出費はそれほどでもなかったけど、正気の請求額とは思えない。日本円にすると1,200万くらいだよ?? 4日の入院で。米国の医療費は常軌を逸してる。 ちなみにその後に送られたリハブは一日500ドル(72000円くらい)。ショートステイなんか夢のまた夢(悲)

写真は、その常軌を逸した入院費で提供される病院食。出てきた時は「なにこれ?ドッグフード?」と思わず写真を撮ってしまった。この病院はヒスパニックの住民が多い地域にあるせいか出てくる食事はスパニッシュ風が多かった気がします。サムは白米が苦手なのでちょっとかわいそうだったな。

高額な入院費がかかる(しつこい?)医療施設から夜に救急車で戻ってきたサム。救急隊員が、病院から搬送しようとするとツレが抵抗したらしく連れ出すのが大変だったと話してた。翌朝、着替えの時によく見ると両手首には擦過傷があった。反抗するツレを押さえつけ、手が使えないように縛られたのかもしれない。病院でも最初はベッドにくくりつけられてた。プルアップを替えるときにお尻にも結構大きな褥瘡ができていたことに気づいた。痛そうで涙が出た。

コロナ感染で4日間も眠り続けている間、尿の方はコンドーム型収尿器でなんとかなってたけど失便の方は汚れた尿漏れシーツをかえるしかないんだけど、褥瘡ができてたってことは金額に見合うケアはされてなかったってことでしょう。しかし、思わず笑いが出てしまうくらいの高額な医療費って、病院に来てほしくないっていう意思表示なのかも。で、それを是正しようともしない政府も年寄りや病人なんか知ったこっちゃないってことが表れていると受け取っちゃいます。って、思わず愚痴っちゃったけど。

家に戻ってきたツレは病院や施設にいたときよりもうんと元気で、ご飯も普通に食べられる。もちろん一緒にいて忘れてるようならリマインドしてあげないといけないんだけど、それでも毎食完食してくれる。相変わらず私の後ろについてきて、テーブルを拭いたり掃除機をかけたり(もちろん完璧にはできないけど)と、私をヘルプしてくれる。サングラスをかけて「ほらみて」って感じで笑わせてくれたりする。昔みたいにいろいろできないことも多くなったけど、小さな幸せで満足できる、ツレと一緒にいる毎日が嬉しいと、再認識した入院騒ぎでした。

サムの一日

  • 昼過ぎくらいまで寝る。寝起きの着替えで少しだけうんちが出ていたので、トイレまで誘導して温水で洗い流す。
  • レーズンブレッド、ナッツ入りブレッド、ポテトサラダ、バナナ 完食
  • 口の中に唾が溜まるので吐き出すように小さなボールを渡すと、その中にミルクコーヒーをはいてた。吐くっていうより、口の中の液体をでろーんと出す感じ。
  • 玄関ドアを開けたところの寝椅子あたりでウロウロ。大樹が段ボールで作ったアビー用の爪研ぎの上に座って外を眺めている。
  • ソファーの下に誰かがいると言ってかがみ込む体勢をしていたら起き上がれなくなった。大樹と私で支えて体を起こすとしばらくソファーで横になる
  • 鼻を拭いてあげたりすると「サンキュ」って返ってくる
  • ズボンのボタン辺りを持ってソワソワしているのでトイレ?と聞きプルアップをちょっと覗くとまた少しだけうんちが出ていたのでシャワーに入る?と聞いた。
  • シャワーでは自分で体を洗う。
  • 着替えもほとんど自分でできた。靴下は履かせる。
  • 7時に夕食。ビーフカレー。全部自分で食べた。
  • 8時半ごろ、トイレというので2階に上がる。おしっこは出ない。
  • 横になる?と聞くとYesなのでベッドに連れて行き、目薬をさして、おやすみなさい。
  • 夜中の2時過ぎくらいに寝言。体を起こすそぶりだったので、私の両手でサムの手を包み寝たふりをしてると振り解くのを諦めて再び就寝。