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Queer Eye is back!!

妹のお気に入り番組だった「Queer Eye」がネットフリックスの新番組となって帰ってきた。番組は、5人のゲイがそれぞれ、ファッション、グルーミング、カルチャー、フード、リビングエンバイロンメントを担当して、さえない男を改造する番組。

番組は2003年からはじまって、当初はゲイに対する偏見を取り除くことが目的だったけど、今回の目的はAcceptance、受容することが目的だそうです。

ネットフリックスの担当者によると、「アメリカが分裂し未来が不透明になるなかで、5人の勇敢なチームが笑いと真心、そしてちょっとしたモイスチャライザーを効かせて人々を近づかせる。エミー賞受賞番組クィアー・アイがアメリカを再びすばらしくするために戻ってきました。新しいファブ5と番組には最も厳しいミッションが課されています。『クィアー・アイはビッグアップルのレッド・ステートをピンクに変えていくーひとつずつ』」のだそうで、収録は共和党ゴリゴリのアメリカ南部、ジョージア州アトランタを中心に行われている。

3話まで見終えたんだけど、毎回感動。3話目は特に、南部の警官を変えるというミッションで、番組当初に5人が車で現場に向かっているところ、パトカーに停車しろと求められる。運転していたのが黒人のKaramo Brownだったので、昨今続いている警官による黒人差別、銃発砲、暴力、みたいな一連が脳裏をよぎる。呼び止めた警官は実は仲間の変身を申し込んだ本人だったと分かり一安心。

番組中、Karamoと警官が二人きりで車のなかで会話するシーンがあった。二人とも、それぞれの困難さを正直に話しあう。警官もそうだけど、Karamoのほうもにも警官に対する偏見がすこしやわらいで、気持ちが癒されたっていうところがじんときた。番組が終わりに近づいたとき、警官が目の周りを真っ赤にして「今回の収録の中で、Karamoで交わした会話が一番心に響いた。ああいうことを話せて、ほんとうによかった」って涙をながす。ほんと、感動した。

警官と黒人の間の緊張は、核心の問題は銃社会ということと司法制度の問題があるとおもうのだけど、発端はすこしのあいだ置いとくとして、派生した差別問題をこうやって近づいてほぐしていくために、リアリティショーを使うっていうのはすごいアイデア。日本でもぜんぜん取り入れられることだと思うけど、政治問題をとりあげたコメディアンが番組から降ろされるような空気じゃ無理なのかもしれないね。でも、マスメディアでできないことなら、小さいメディアでできるし、そのためにネットを利用すればいいんじゃんね? アメリカでもこれはネットフリックスだからできたのかもしれないし。でもまあ、ネットフリックスも大きなメディアだけどね。

1. Wanderlust: A History of Walking

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著者:レベッカ・ソルニット
翻訳:東辻賢治郎

装幀:松田行正+杉本聖士
カバー写真:Charles C. Pierce

定価:本体4500円+税

四六版上製/520ページ

978-4-86528-138-5

 

今年の一冊目。東海道や中山道、熊野古道からお伊勢さん、そして出雲大社。大樹が大学を卒業してからのこの3年の間に歩いた道。長距離を歩くことを知りたくて読み始めた。

人間の特徴、二足歩行で歩くことが、思考と文化、社会とどのように結びついてきたのかという問いを片手に、ずいぶんと遠い時間の昔から現在にいたるまでを歩いていく本。ルソーやワーズワースの話も面白かったけど、イギリスでは歩くことが所有地の侵入に結びつき、やがて自由に歩くことが個人の権利の象徴となってくるっていう話も面白かった。あと、シエラクラブと東海岸の詩人との結びつきとか。フランスで、ストリート・ウーマン/娼婦の歩くパリの話もよかったなぁ。

楽しく読めたし、外にでたくなったし、文章も書きたくなる本だった。

Play:Latin History for Morons, by John Leguizamo

We went to see “the Latin history for Morons”. He was fantastic! and he is very right to said — if you don’t know your history, you will be invisible in this society, because Majority history don’t tell minority one at school —

ブロードウェイのスタジオ54でやってる、ジョン・レグィザモの一人芝居、「ラテンヒストリー・フォア・モラン」を観ました。おなかがよじれるくらい笑った。
芝居は、彼の息子が学校でいじめにあって、彼が父親として息子にラテンの歴史を話そうとして実は自分も知らなかったことが多いというのに気づいたのがきっかけで作ったそう。

学校では何も教えてくれないけれど、実はラテン系の人たちはアメリカの建国にもおおく関わっている。歴史教科書からはラテン系について何も学べなかったけど、一番目を開かせてくれたのはハワード・ジンの「People’s history of America」。現地のインディアンの知恵の深さ、すぐれた文明を知ればしるほど、西洋文明のもたらしたものが何だったかわかってくる。白人でもなければ黒人でもない、自分の歴史を知らなければ、この社会で「見えない存在」になってしまう。

舞台ではラテン系のことを話しているのに、何度も「そうそう!」とうなづいてた。私が朝鮮学校に行ってて一番感謝しているのは、もちろん言葉が話せるということもあるけれど、それより大きいのは、日本で生まれて育った自分がなぜ「朝鮮/韓国籍」なのか、朝鮮半島っていったいどんなところなのか、そういった歴史を学べたことだったとおもう。そういったことを知るのは、他者を攻撃するため(この芝居ではコロンブスに代表される西洋だったけど)じゃなくて、自分の存在を肯定するためにあるのだと、超笑いながら確信させてくれた芝居でした。おすすめ。